皆さんこんにちは。東大セミナーの北川です。
今回は「素数にまつわる定理」についてお話します。数学が苦手な方にも魅力が伝わるよう工夫いたしますので、是非最後まで楽しんでいただけますと幸いです。
目次
1.「素数」ってなんだっけ。それって何が面白いの?~「算術の基本定理」~
中学や高校での数学で、恐らく誰しも「素数」という言葉を聞いたことがあるはずです。まずはこの「素数」の復習から始めていきましょう。素数とは、以下のような数です。
たとえば、2は1と2でしか割り切れませんから、素数です。5も1と5でしか割り切れませんから素数です。では、6はどうでしょう? 1と6以外にも、2や3で割り切れますから、素数ではありません。同じように、57も1と57以外に、3などで割り切れますから素数ではありませんね(ちなみに、6や57のように、素数でない数を合成数と言います。1は素数でも合成数でもありません)。
こんな風に、素数の定義そのものはとても簡単で、明快です。ただ故に、こう思う方もおられるでしょう。
「これの何が”面白い”の?」と。
至極まっとうな疑問だと思います。「1と自分自身でしか割れない」ことは、何か特別に注目を引くような性質なのでしょうか?
この問いに対する答えは様々ですが、今回は現実への応用や歴史的な側面ではなく、あくまで「数学の世界での面白さ」に絞ってお話しします。そう聞くと数学が苦手な方は辟易してしまうかもしれませんが、実は日常的な感覚と近いところもあるのです。
数学の面白さを感じる瞬間、それはたとえば「ある概念が発展性を秘めていること[1]」や「ある概念から非自明[2]な結論が導ける」ことだと思います。
例えば、先ほどの素数という「とるにたらなそうな性質」を持った数から、「とても意外で不思議な性質」が発見できたら、それは面白いことだと感じないでしょうか? そして素数はそんな「意外で不思議な性質」をたくさん秘めているのです。
一例を挙げましょう。「算術の基本定理」という、素数にまつわる定理があります。簡単に述べれば、「1以外のすべての正の整数は、素数の掛け算でただ一通りに表すことができる」という性質です。具体的に考えてみればわかりやすいはずです。たとえば、12という数を掛け算で表す方法は色々あります。2×6、3×4、2×2×3、1×12、1×1×12、……。この中で素数だけの掛け算は2×2×3が挙げられ、そしてこれだけです。
気になった方は他の正の整数でもやってみてください[3]。恐らく、どんな数であっても素数だけの掛け算で表す方法は必ずあり、不思議なことにただ1つだけのはずです。そしてこれこそが、まさに算術の基本定理の主張そのものなのです。
中学校で皆さんは恐らく「素因数分解」を習ったと思います。今上でやったことはそれと深く関係しており、端的に言えば「素因数分解は(1以外なら)必ずできる」し、「素因数分解の形はただ1通りに確定する」ということを主張しているのに他なりません。素数は「もと」となる「かず」という風に書くわけですが、こうしてみるとまさに、全ての正の整数の「もとになっている」ことがお分かりいただけると思います。
この事実についての証明は省きますが、初等的[4]な証明が知られており、例えば高木貞治『初等整数論講義』等にその記載があります[5]。
何にせよ、「素数」は定義のシンプルさに反して(あるいは呼応して?)「数の素」としての重要な性質を持っているわけです。とても面白いですよね。
次の項目では、その他にも素数が持つ「非自明性」についてお話します。
[1] 現実において役に立つかどうかという意味合いではなく、掘り下げることで予想もしないような結論が得られる、というような意味です。
[2] 「非自明」とは、ここでは「当たり前ではない」くらいの意味で取っていただけると幸いです。逆に「自明」というのは、「まあ当たり前だよねと思える」ぐらいのことです。
[3] 素数については、「ただ1つの素数の掛け算」とみなせば正当化できます。
[4] 簡単という意味ではありません。ここでは、「高校数学の範囲+学部1,2年ぐらいの知識で説明できる」程度の意味合いで捉えてください。
[5] この著者の作品について、既に著作権の切れた古い版をインターネット上で公開する「高木貞治プロジェクト」という運動があり、古い版であればこのサイト等で読むことができます。
2,3,5,7,11,13,17,19,……。小さい方から順番に素数を列挙してみました。こうしてみると、素数はたくさんありそうな感じがします。どれくらいたくさんあるのでしょうか。めちゃくちゃ沢山だけど、有限個なのでしょうか? それとも無限にあるのでしょうか?
結論から言ってしまえば、素数は無限にあります。いくらでも大きな素数が存在する、と言い換えてもいいでしょう。つまり、あなたがどんなに大きな正の整数を言ったとしても、それより大きな素数が必ずある、というわけです。
「ほんとかよー?」と思う方もいらっしゃることでしょう。「てか、”無限にある”ってどうやって調べたん? 無限の果てまで見て調べたん?」とも思うかもしれません。勿論、無限の果てまで調べたわけではありません。幸いにして、この事実についての証明はさほど難しいものではありません。何せ、紀元前にユークリッドという数学者が証明を行っていますからね。彼がとった方法は、実にシンプルで冴えています。
現代的には背理法を用いた証明として、より洗練された形で知られていますが、ここではあえてユークリッドの著書『原論』にあるのと極力近いスタイル[6]で証明を試みてみることにします(個人的には、その方が論理を追いやすいように思います)。
彼はまず、いくつかの素数を用意し、それをまとめたリストを用意しました。
次に、このリストに書かれている素数から、新しい素数を探すことを考えます(どのように? それは後で詳しく説明しますね)。そして、見つけた素数を新しくリストに加えて、同じようにさらに新しい素数を見つけることを試みます。
もし、この操作が幾らでもできるとします。それはつまり、リストがどれほど大きくなったとしても、新しい素数が幾らでも見つけられることを指します。なれば、素数が無限にあると言ってよさそうです。
つまり、我々の目標は、「与えられた素数のリストから、そのリストに無い、新しい素数を発見できることを示す」ことになるわけです。
さて、では具体的にやってみましょう[7]。まずは素数だけが書かれたリストを用意しましょう。今回は{2,3,5,7,11}というリストを持ってきました。
次に、このリストに書かれている素数をすべて掛け算し、1を足します。我々が用意したリストだと、2×3×5×7×11+1=2311という数を得ます。
この2311という数は、実はラッキーなことに素数です。地道に確かめれば、1と2311以外に2311を割り切る正の整数が無いことが分かります。そこで、我々が新たに見つけたこの2311という素数を、さっきのリストに加えてしまいます。
こうして、我々は新しい素数のリスト{2,3,5,7,11,2311}を得ました。
さて、さっきと同じように、このリストに書かれている素数をかけて1を足しましょう。今回は大きい数になりますが、計算機を使えば、2×3×5×7×11×2311+1=5338411を得ます。
5338411は素数でしょうか? 結論から言うと、素数ではありません(例えば13などで割ることができますね)。つまり、5338411を先のようにリストに入ることはできないのです。さて、どうしましょうか?
ここで、ユークリッドは驚くべき発想の逆転をします。彼は、「5338411を割り切る素数はどんな数なのか」という風に考えました。そして、「5338411を割り切る素数は、今手元にあるリストの6個の素数の中にはない」という結論に至りました。
どういうことでしょうか。5338411は2×3×5×7×11×2311+1という計算から得られました。これはつまり、5338411を2,3,5,7,11,2311のいずれで割ったとしても、1余ってしまうことを指しています。要するに、5338411は今リストの中にあるどの素数でも割り切れないのです。
にもかかわらず、5338411が素数でないのだとしたら、結論はただ1つです。5338411はリストの中に無い未知の素数で割り切れる[8]のです。今回ならば実際のところ、13と19と21613で割り切れます(これらは実際、リストにはありませんでしたね)。これらの素数をリストの中に加えることで、我々は新たな素数を得たことになります。
これまでの過程をまとめてみましょう。いくつかの素数が書かれたリストを用意し、そのリストに書かれている数をすべて掛け算し、1を足します。その数が……
・素数であるなら、それをリストに加える。
・素数でないなら、その数を割り切り、かつリストに無い素数があるから、その素数をリストに加える。
こうすることで、リストがどんなに大きかったとしても、そこに無い素数を得ることができるわけです。こうして、示したかったことが証明できました。
素数が無限にある。この事実はとても面白いです。素数の定義からは、それが無限にあるかどうかは分かりませんでしたが、簡単な推論で示せてしまいました。
素数の無限性については多数の証明があります。今回取り上げたユークリッドの証明も素晴らしいのですが、2006年にフィリップ・サイダックという数学者によってなされた証明はとても簡明で、非常に美しい内容です。個人的には一番好きです。
[6] 9巻の命題20に「素数の個数はいかなる定められた素数の個数よりも多い。」という形で表現されています。
[7] ユークリッドは「与えられた個数の素数をA,B,Γと置く」ところから証明を始めましたが、今回は分かりやすさ重視のため、もっと具体的に数をとってみます。
[8] これは先ほど紹介した、素因数分解の可能性に由来します。
さて、素数は無限にあるとして、次に気になるのは何でしょう。数学者たちは、素数はどんな間隔で現れるのか、どれくらいの頻度で現れるのか、そこに着目しました。
今回取り上げる「ベルトランの仮説[9]」も、そんな素数が現れる頻度に関する定理です。
どうでしょうか。文字が登場してビビっている方もいるかもしれませんが、まずはこのnに具体的な数を入れてみて確かめてみましょう。
n=1とします。1より大きくて2以下の範囲には、素数2が存在します。また、少し飛ばしてn=4とします。4より大きくて8以下の範囲には、素数5や7が存在します。
こんな風に、ある正の整数と、その2倍の数の間には、絶対に素数があるよ、というのがベルトランの仮説の主張です。nが100でも、200でも、それこそ我々の想像も及ばないほど大きな数字であっても、必ず正の整数とその2倍の数の間には素数が1個は存在するのです。
この定理の証明は幾分か複雑なものになります。具体的には、高校数学の数IIIの範囲までを履修していることが望ましいです。ですから、ここでは証明を追うことは避けます。
代わりと言ってはなんですが、この定理にまつわる歴史の話をしましょう。
この定理は、実は何度か証明されています。一度証明したものが再度証明される、と聞くと何かおかしな感じがしますが、以前とは違うアプローチであったり、より簡単な方法で証明できたりしないかと考えるのは有意義なことです。実際この定理についても、チェビシェフという数学者が最初に証明を発見してから、ラマヌジャンという数学者が、同じ手法でより簡潔な証明を見つけたそうです。しかしこの時点では、まだ現代の高校生が理解できるレベルのものではありませんでした。
現在も知られる初等的な証明は、ポール・エルデシュという人物が1932年に発見しています。後に「数学界の妖精さん」として知られることになるエルデシュの、若かりし頃の大発見です。
エルデシュについて書かれた伝記『放浪の天才数学者 エルデシュ』より、この証明について記載されている部分を引用しましょう(一部分かりにくいところについては、後に注記致します)。
“素数はエルデシュの仲のよい友達だった。かれはだれよりもよく素数を理解していた。「わしが十歳のとき、父がユークリッドの証明を教えてくれた。わしはそれに夢中になった」八年後、大学一年になったかれは、1よりも大きな整数とその二倍数のあいだに素数がかならず見つかるという単純な証明で、ハンガリーの数学界を席捲した。この結論は一八五〇年ごろにすでにロシア数学の父のひとりであるバフヌティ・ルヴォヴィッチ・チェビシェフが証明していたが、チェビシェフの証明はザ・ブックに納めるにはあまりにも仰々しすぎた。チェビシェフはバラの茂みを移植するのに使う大きなシャベルを持ち出したのに、エルデシュはスプーンでやってのけたのだ。”
(p.218より)
一部補足します。
・「素数はエルデシュの仲のよい友達だった」というのはまったくその通りで、エルデシュはこの他にも、例えば「素数の逆数和は発散する」という事実の、簡明で美しい証明を残しています。この証明も恐ろしく美しいのですが、長くなるので割愛します。
・文章中に登場する「ザ・ブック」とは、エルデシュが想像する「この世のありとあらゆる数学の定理や理論が載っている本」のことです[10]。日本語ではたびたび、「天書」と訳されますが、エルデシュ自身この「天書」の存在を信じており、彼自身の、ある種数学的な思想の中核を成すものだったのだと推察されます。
「ザ・ブックに納めるにはあまりにも仰々しすぎた」というのはつまり、チェビシェフの証明は、正しいが美しさ[11]には欠けるものだった、と捉えることができます。
その点エルデシュは、初等的な知識と技術で簡潔な証明を与えてしまったわけですから、まさにそれは「美しい証明」であり、きっと「天書」に載っているような極上のものだと言えるのでしょう(チェビシェフの証明が「大きなシャベル」という、穴を掘る専用の道具で、日常から離れたものに喩えられているのに対し、エルデシュのそれは「スプーン」という日常的な、ありふれた道具に喩えられていることからも伺えます)。その証左として、エルデシュは晩年にその制作に携わった『天書の証明』という本の中に、彼自身がかつて行った証明を記載しています。
先にも書いた通り、高校数学の知識でその証明は理解することができます。概略だけ述べると、中心二項係数 \( {}_2n C_n \)の素因数を、 \(\sqrt{2n}\)以下、\(\sqrt{2n}\) より大きく \(\frac{2n}{3}\)以下、 \(\frac{2n}{3}\) 以上の3つに区切ってそれぞれ個数を評価し、それを使って\( {}_2n C_n \)を上から押さえます。その後、ベルトランの仮説の否定を仮定すると、\(n\)の値が一定以上になったところで、先ほど得た\( {}_2n C_n \)を上から押さえる不等式と矛盾する、というような流れです[12](本筋には関係ないので、この説明が何を言っているのか分からなくても大丈夫です。反対に、もしこの説明で概要が分かったら多分元の証明も読めると思います)。
気になる方は、是非一度調べてみてください。きっと感動しますよ!
[9] 仮説とは書いてありますが、証明済みの定理です。実際、証明した人の名前も加えて「ベルトラン・チェビシェフの定理」という名前でも知られています。
[10] 無論実在するものではありません。あくまでも想像上の本です。
[11] 「証明の美しさ」については多様な見解と個人のセンスがあるので一概には言えませんが、簡潔で、明快であるほど美しいと呼ばれるような気がします。
[12] いわゆる背理法です。
素数が持つ面白さ、少しでも感じていただけたでしょうか?
今回紹介した「算術の基本定理」「素数の無限性」「ベルトランの仮説」は、素数が持つ豊かな性質の、ほんの一端に過ぎません。そもそも素数というテーマを、高々7000字程度で語りつくすことなどできようがありません(恐らく100000字あってもきっと無理でしょう)。語りつくせないほど多様な性質、側面を持つことそのものが素数の面白さだと、個人的には思っています。
素数に限らず、他の数学的対象も意外性と多様さを持つものがたくさんあります。最初は何も分からなくても、意味を理解した時に驚きと感動をもたらすものも少なくありません。
是非皆さんも、数学の持つそんな面白さに触れてみてはいかがでしょうか?
参考文献
中村幸四郎ほか訳・解説(2011)、『ユークリッド原論 [追補版]』、共立出版
・M.アイグナー・G.M.ウィーグラー著、蟹江幸博訳(2022)、『天書の証明 原書6版』、丸善出版
・ポール・ホフマン著、平石律子訳(2011)、『放浪の天才数学者 エルデシュ』、草思社
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