表題の言葉は現在東セミグループの本部が置かれている金沢南校の廊下の壁に掲示してある言葉である。普段は何気なく見ていたのであるが、最近になってその言葉の意味を少し考えてみた。この言葉は南校のスタッフが何処かで見つけた言葉なのであろうが、生徒を鼓舞するには一見して良い言葉である。何事においても目的を達成するには努力の裏づけが必要だからだ。天才と言われた人でも例えばエジソンのように人並み外れた努力を重ねていることは枚挙にいとまがない。
しかし、翻って考えてみるに、全ての人が努力をすれば、望む結果が得られるであろうか。それに、どれ位の努力が必要なのであろうか。これらの疑問にこの言葉は直接答えてはいない。世間の耳目を惹きつけるような大きな成果を上げた人には、おしなべて努力の裏づけがある。先ごろ、日本から2人のノーベル賞受賞者が出たが、粘り強く研究テーマを追い続けた成果と言える。それでは彼らのような努力をすれば皆がノーベル賞を受賞できるのであろうか。
一方、努力の結果、望む成果が得られなければその努力は無駄なのであろうか。また、その努力は人をして裏切ったのであろうか。私にはそう思えないのである。望む結果が例え得られなくとも努力の事実が残り、それは有形無形にその人のものとなっている。かつて、東大生の共通項は何か、というテーマで東大生自身がその著書で語った言葉「間違いなく東大生に共通しているのは、1つのことに集中して努力することができる」が思い起こされる。
こう考えていって初めて「努力は決して裏切らない」の言葉が了解される。受験勉強の結果として合格を望むことは自然であり、誰しもそれを願って努力する。しかし、例えそれを得られずとも、その努力は決して無駄ではなく血となり肉となっていくものと信じる。人の一生において、目先の結果のみに囚われず、今やらなければならないことに全力を尽くすことが最善であると考える。特に、受験生にあっては結果を恐れず、時間を大切に最後まで努力して欲しい。
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