今月はたいそう大きなテーマを掲げる。自分について冷静に見つめたいと思う。自分とは何者であろうか。生まれ育ったのは口能登の羽咋郡志雄町荻市という元は宿場町で栄えた小さな町の一隅である。背後に低くてなだらかな山々を控え、日本海まで自転車で30分ほどで行くことができる長閑な町である。山には野いちごや栗、アケビなどを採りによく出かけたものである。海には父に買って貰った中古の自転車を駆って貝採りや海水浴にやはりよく出かけた。いま思えば自然に恵まれた幸せな少年時代を送ったものだと思う。
父は私にとって厳格で厳しく怖い人であった。成績があまり良くなかった少年時代は成績のことでよく叱られた。遊び盛りに門限にもことさら厳しく、言い訳を母親に協力してもらっても通用しないことが多かった。高校に入ってからでも勉強をしないという理由で教科書を全部燃やされたり、折り合いが悪く母の実家から暫く学校に通った。長男としての期待が大きかったのではないかと推測されるが、とにかく怖い存在であった。母は私と父の間に入って随分苦悩したことだと思う。後年、私を継母に会わせることが忍びなく離婚を思い留まったと何度も聞かされた。
そんな父でも信仰熱心な一面があった。「人はこの世に使命をもって生まれてくる」。ただ偶然に生まれてくるのでは無く必ず目的を持って来るのだと言う。そして生業(なりわい)が修行そのものだとも言う。「業は行なり」という言葉を何度聴いたことか。そのためか私は仕事にマイナス的なイメージを未だに持ったことはない。もちろん肉体的疲労は時として感ずることはあるが。この考えは稲盛和夫氏などの思想に通じ、曽野綾子女史の「個人個人がボケーション(使命)を見出せるようにすることが教育の本当の役割ではないでしょうか」は箴言である。
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