ローマ法王の言葉 - 金沢市・野々市市・白山市の塾なら東大セミナー
2022.12.01保護者通信

ローマ法王の言葉


 

2月24日のロシアによるウクライナ侵攻から9カ月が過ぎました。当初、早期のウクライナの降伏が予想されましたが、ウクライナは粘り強く戦い今では一部奪われた地域を回復しつつあります。多くの人は侵略されたウクライナに同情心を寄せているようです。私も例外ではなく報道による戦況にウクライナ側に立って、これまで一喜一憂してきました。しかしこのごろ戦闘によるロシア兵の大量死の報に接すると暗澹たる気持ちに襲われ、この戦争に対する怒りがこみあげてくるようになりました。こんな無謀で残忍な戦争に駆り出される兵士の妻や親の気持ちを考えると心が痛みます。一人の独裁者によって善良な多くの人間が無残にも殺されていく。この不条理に何とも言えない人間の愚かしさと非情さを感ずるのです。

 

ウクライナ戦争に関するニュースで心に深く残るシーンありました。それは夫を戦争にとられ国外に逃れた若いご婦人2人がローマ法王に拝謁し「この戦争を早く終わらせてください」と懇願する映像でした。そこで法王は何と応えたかと言うと「祈りましょう!」の一言でした。もしかしたらその言葉の前後があったのかもしれませんが、ニュースとして流れたのは「祈りましょう!」の一言だったのです。人によっては何とも頼りない言葉に映ったかもしれません。しかし私にはとても強く印象に残り、遠く離れた私たちにできることはそれに尽きるのではないかと思ったのです。もちろん物心両面の支援の大切さも重々承知しています。しかし戦争の終結、解決に私たちが直接コミットできることはできません。「祈り」というと少し宗教くさくなりますが心の働き、ととらえることができます。

 

宗教というと、いま政界を巻き込み霊感商法、多額献金などで一大社会問題となっている「旧統一教会」や、かつて地下鉄サリン事件を起こし日本中を震撼させた「オウム真理教」を連想し負のイメージを持つ方も少なくないと思われます。しかし、それはあくまで特殊なケースであり「世界の平和」と「人類の安寧」を祈り人々の心の拠り所となっている宗教も数多くあります。「祈り」は一義的には神仏(他力)に対してなされますが、それのみにとどまらず「自己」(自力)に対してなされるものと理解できます。キルケゴールは「祈りは自己を変容する働き」と喝破しました。戦争も平和も一人一人の人間の心から生まれます。そう考えるとローマ法王の言葉の意味の深さに敬服せざるを得ません。ウクライナ戦争は改めて私たちに平和の尊さを教えてくれています。

 

 

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【記事監修者】塾長 柳生 好春


1951年5月16日生まれ。石川県羽咋郡旧志雄町(現宝達志水町)出身。中央大学法学部法律学科卒業。 1986年、地元石川県で進学塾「東大セミナー」を設立。以来、38年間学習塾の運営に携わる。現在金沢市、野々市市、白山市に「東大セミナー」「東進衛星予備校」「進研ゼミ個別指導教室」を展開。 学習塾の運営を通じて自ら課題を発見し、自ら学ぶ「自修自得」の精神を持つ人材育成を行い、社会に貢献することを理念とする。

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