コロナ禍で生活様式が変わったという男性諸氏の話をよく聞く。典型はあまり呑みに出なくなったということ、すなわち家で食事をとることが多くなったということである。政府の行動制限で飲食店がターゲットとなり、果たしてそれがどれくらい効果的なのか疑問を持ちながらも私を含めて多くの人はそれに従った。
家での滞在時間が増えることでテレビ、冷蔵庫、洗濯機などのいわゆる白物家電の売れ行きが好調であるという話を広告会社の社員からコロナ禍の初期に聞いたことがある。飲食店などの苦境に対する非対称性の話として羨ましく思ったものである。
家での滞在時間の増加は人の行動にどのような変容をもたらしたか。本を読む時間が増えた人、運動時間が増えた人、趣味の時間が増えた人など様々な影響が考えられる。私は家での夕食が週2回位からほぼ毎日に変わり食事に対する意識が少し変わった。同時に妻の大変さにも改めて気づいた。
狩猟採集生活の時代から男は狩りをし女は料理をするという生活が長らく続いた。しかし「男女共同参画社会」の今日にあってそのような画一的な考えは果たして如何なものだろうか。食べることはすなわち生きることであり、最も根源的なことである。それに男が携わることは悪いことではない。「男子厨房に入らず」は封建時代の名残りであろう。むしろ男はこれまでどちらかといえば外食の機会が多くいろんな味を知っている。その経験を活かし自分の食べたいものを食べたいときに自分好みの味付けで食べることができるとはなんと幸せなことか。きっとそれがきっかけで家族間のコミニュケーションも増え円満になるかもしれない。
夕食に何を作ろうから始まって材料の買い出し、調味料の準備、火の調整など工程の工夫は1回1回が勝負である。同じように作ったつもりでも毎回微妙に味が異なって感じられるのは気のせいであろうか。いや違う、料理とはそのような微妙で繊細なものであり奥が深いものなのだ。それゆえ、虜になるのである。
奥様方の声が遠くから聞こえる。「たまに作るからそんなことが言える」のだと。ごもっともである。毎日作る身になればまた違った料理に対する感慨があるだろう。
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