東大セミナーは1986年7月の夏期講習からスタートした。
1986年はその年から始まったバブル元年であった。
当時個人的には景気が良いとの実感はあまりなかったが、
土地探しに大変苦労したことを考えるとやはりその前兆があったのである。
バブルは1991年に終わったのであるが金沢ではまだその余熱が数年続き、
18歳人口も増え続けていたので塾業界は順風であった。
90年代は社会のトレンドが大きく変わった。
バブル崩壊により日本経済は長期の低迷に喘いだ。
日本経済の失われた20年の始まりであった。
バブルの反動からかヒーリング系の書籍やセミナーが流行った。
アメリカから複雑系の考え方が流入し、
「暗黙知」という概念が流布したのも2000年頃であった。
私はこのころ船井幸雄さんに傾倒し彼の著書を貪り読んだ。
彼の「競争から共生へ」の言葉に代表されるように
「共生」という言葉もこの時代のキーワードであった。
それまでの企業活動は競争を当然のように前提としていたが、
企業は独自固有の長所を伸ばすことで成長することが力説された。
それを受けて東大セミナーは生徒の競争心を刺激することで
モチベートする指導を大きく見直した。
1980年代の後半に北国新聞に「サブスクールの時代に」というコラムが連載された。
それが後に単行本として刊行された。
その内容は大雑把に言って東大セミナーという進学塾の徹底した指導ぶりが
センセーショナルに紹介された。
内容は科目別学力別クラス編成、成績順座席指定、1か月ごとのクラス替えなど、
都会の進学塾顔負けのシステムであった。
結果として短期間に合格実績が上がったが、
世の中の価値観の変化に応じて徐々に転換していった。
これが後の東大セミナーの「志教育」に繋がっていったのである。
90年代は集団授業の東大セミナーが隆盛を極めた時代でもあった。
有松の金沢校に15を超える中学校から生徒が通ってくれた。
北は浅野川を越えて、南は鶴来からも通ってくれた。
読売新聞に高校受験の「直前の腕試し」として
東大セミナーの作問による予想問題が連載されたのもこの頃である。
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