「東大セミナー」という塾名の由来は、
当時千葉県にあった東大セミナーのフランチャイズとしてスタートしたことにある。
塾名からよく私が東大出身かと聞かれたが、
中央大学法学部を昭和51年に3月に卒業している。
その後いくつかの仕事を経て、
満30歳で大学時代からの友人の勧めで埼玉県の会計事務所に就職した。
5年間在籍したわけであるが、簿記会計を全く知らないままに入所したので、
仕事が分かるまでに時間がかかった。
税理士資格を持つ先輩が2人独立した後、
統括マネージャーを拝命したのには驚きを隠せなかった。
今でもあの時何故自分が統括マネージャーに抜適されたのか自問することがある。
結論は、いつもこうである。
「経営者の視点で常にものを見ていたな・・」である。
それしか思い当たらない。
問題解決に当たって「自分が経営者であったらどう考えるか、どうするか」
という観点で見ていた気がするのである。
税務会計の知識では私より遥かにあり、
仕事のできる社員を何人も差し置いて抜擢されたのであるから、そう考えざるを得ない。
また「働き方改革」などない時代に、自分に仕事が集中するのは、
それだけ見込まれているのだと自分に言い聞かせてもいた。
月2日の休みでも違和感はなかった。
今思うと、そういう自分を経営者は評価してくれたのではないか。
私は紛れもなく自分のために経営者の視点に立って働いたと思う。
人生とは不思議なものである。
その会計事務所の顧客に、後に東進衛星予備校を全国的に展開して一時代を築いた
株式会社ナガセがあったのである。
埼玉県比企郡小川町という昔から紙すきの町として栄えてきた小さな町に
その会計事務所があった。
実は、その会計事務所に入所するにあたって私は迷っていた。
なぜなら簿記会計や税法の知識が全くなかったからである。
面接を受けたのち採用の通知を受けたが、先の理由で躊躇していた。
ある時、中央線の電車の中で株式会社ナガセに仕事で向かう
会計事務所所長にばったり遭遇した。
私は仕事で学校を卒業したばかりで当時の勤務先に入社した寮生を
隣駅まで案内する途中であった。
その時所長の口から「まだ決断しないのですか」との言葉がでた。
この言葉と偶然の出会いにご縁を感ずることに時間を要しなかった。
この広い東京で、しかも同じ電車、同じ車両での遭遇である。
私ならずとも同じ結論になったのではないか。
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