中国では古来、人の人生を四季に例えて、それぞれに色を配して表現した。
私たちがよく使う「青春」はその一つである。
五行説で春に青を配(青春)し、夏に朱(赤)(朱夏)を配し、
秋に白(白秋)を配し、冬に玄(黒)(玄冬)を配して四季を表した。
これを人生に例えると青年期は文字通り「青春」であり、
30代から40代は「朱夏」であり、
50代から60代は「白秋」であり、
70代から80代は「玄冬」ということになろうか。
白秋というと北原白秋を連想する。
これまで北原白秋の白秋は詩人らしく、五行説から自ら採ったものと思っていたが、どうも違うようだ。
同人誌を発行する際に「白」の一字を雅号につけることになり、くじ引きで「白秋」になったという。
白秋の歌に「秋の日の白光にしも我が澄みて思(おもひ)深きは為すなきごとし」がある。
秋の穏やかな陽光に心も澄み切って、満ち足りた思いでもはやなすべきことはない。
遺歌集「牡丹の木」に載せられたもので、澄んだ秋の日差しにも似た清々しい晩年の心境が吐露されている。
私みずからは「白秋」の晩期にあると思うがこのような心境からほど遠い。
いたずらに馬齢を重ね「朱夏」の中でもがいている。
四季のうち春夏が好きな私にむしろふさわしいのかもしれない。
しかし、どうもがいても「玄冬」がいずれ訪れる。
玄は黒を意味し、しかも光沢のある黒という。
このような人生の晩年とはどのようなものであろうか。
今のところ「感謝の心に満ち溢れた人生」としか思い浮かばない。
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