最近は歳の所為か、よく過去を思い出すことがある。それも漠然とではなく克明にである。といっても所詮限界があるが以前では考えられない程度にではある。それによって気づかされることが多く、思わずはっとさせられる。そのほとんどは人の気持ちを理解せず自分勝手な言動に半ば呆れ、半ば冷や汗がでる始末である。ただ、過去を嘆いても仕方なく、論語の「吾れ日に吾が身を三省す」ではないが、これからの人生の教訓として活かしたいものである。
以前、上智大学名誉教授の渡部昇一氏の「過去をこと細かに思い出すことにより、未来を生き生きと描くことができる」という言葉に邂逅し、そんなことで未来が描けるのなら実践してみようと思った。果たして気づきが多く、こういうことなのだろうと一人合点して悦に入ったものである。先日、高校の同窓会でスピーチの機会があり、渡部氏の言葉を導入として引用し自己の生い立ちから話をしたが、同窓会という場に案外合っていたような気がする。
過去を思い出し、気づくことの大方は人に対する「共感」の足りなさである。私の未熟さ故とはいえ自身の甘さを痛感する。昨今、様々なリーダーシップ論が横行しているが、その根底に「共感」がなくてはならない。他人のなかに自分を見、自分のなかに他人を見るという、他者と自己の同在という観点が必要であろう。言葉としての「共感」は巷に溢れているが生易しいものではなく各界のリーダーシップ不在が叫ばれて久しい。自らは勿論、共感力のある生徒を育てたい。
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