美大・芸大は行かない方が良い?美大に行く意味を卒業生が考えました - 金沢市・野々市市・白山市の塾なら東大セミナー
2023.09.12保護者通信

美大・芸大は行かない方が良い?美大に行く意味を卒業生が考えました


皆さんこんにちは。東大セミナーの篠原です。

今回は、美術系大学への進学を考えている人のために「美大・芸大は行かない方が良いのか?」という問いについて、実際に美大を卒業した私の体験談も交えてお答えします。

「子どもが美大に行きたいって言い出したけど、美大って就職できるの?本当に大丈夫?」と不安で仕方がない保護者の方、「美大進学を考えているけど、就職できるか不安だから他の大学にしようかな…」と不安で仕方がない中高生の方もいらっしゃることと思います。

この記事では卒業生による「美大のリアル」と美大進学に対する考えをお伝えし、そういった保護者・生徒の皆さまの不安が取り除ければ幸いです(もっと不安になって進路を変更したい、という気持ちになるかもしれませんが……)

 


目次

1.この記事を書こうと思った理由

2.絵しか描けなかったから美大に入った

3.「美大に行ったら安定した職に就けない」の裏に偏見は無いか?

4.人生で後悔するのは「やらなかったこと」

5.道に迷うことこそ、道を知ること


 

 

1.この記事を書こうと思った理由


 

私も美術大学の油画科を卒業しました。

それなのにアーティスティックな活動を現在一切していないし、有名な企業に就職しているわけでもない。

地位も名誉も何もない人間なので、端から見たら「美大卒の落ちこぼれ」と思われるような人間かもしれません。

 

けれど何故か、私は自分の人生を振り返って、美大に行ったことを全然後悔していないんです。むしろ「美大、行って良かったな~(色々あったけど)」と、面白い映画を見終わったあとのような高揚感があります。

だから、Googleで「美大」と検索して、サジェストに「美大 行かなきゃよかった」の文字が出てきたときに、少しカルチャーショックを受けました。

でも、「美大 行かなきゃ良かった」で検索していくうちに、だんだん「ひょっとしたら世の中の大半の人は、自分とは真逆のこと考えてる人いるのかも?」とか「むしろ美大の油絵科を卒業したのに絵を全然描いていない私こそ、美大に行ったことを後悔すべきでは?」と思えてきて、自分が美大に行ったことを後悔していないことが不思議に思えてきました。

なので、「私が美大に行って後悔していない理由」を書けば、お子さんが美大進学を考えていて、応援して良いのか迷っている保護者の方や、美大進学に迷っている受験生の方の何かの参考になるかもしれないと思い、この記事を書きました。

 

 

 

2.絵しか描けなかったから美大に入った


美大というと、一般的には「絵やものづくりが好きな人が行く場所」というイメージを持たれるでしょう。

好きなことを突きつめるために美大に行くのはとても前向きなイメージがありますが、どちらかというと私はもっと消極的な理由で、「絵を描くこと以外に何もできなかったから美大に進学した」と言う方が近いのかなと思います。

 

私の「絵を描くこと以外に何もできない」という特徴は小学生のころから表れていました。

普通の小学生って休み時間や放課後に友達と一緒に他愛もない日常会話をしますよね。

でも、私は学校の休み時間や登下校のとき、放課後でも家の外では一切喋らない人で、同級生の名前を呼ぶことすらも躊躇していました。

先生に授業中当てられた時だけ言葉を発していた感じです。

「周りの人と喋りたくないから喋らなかった」と言うより、家族以外の人とどういう風に接して良いのかがわからなくて喋れませんでした。

「喋りたくないから喋らない」というのではなく、どう喋ったら良いのかわからないのです。今思うと場面緘黙症だったのでは……?と思います。

学年が上がるにつれて自分が他の人と同じように振舞えていないことを自覚し始め、「自分は喋らなさすぎてヤバイのでは??」と悩んでいました。

 

小学5年生の担任には、家庭訪問で「この子は普通じゃありません」と言われたことがあります。

先生に母親と二人だけで話をしたいと言われて、母親はその時「この子は賢いです。でも、普通のことは何一つできません」と言われたそうです。

皆さん……真面目なトーンで学校の先生に「あなたは普通じゃない。おかしい。」と言われたことがありますか?

親も泣いたし私も泣きましたね……。

 

そんなこともあり、子どもながらに「自分は普通じゃないんだ」と思っていましたが、一方で市の絵画コンクールで入賞したり、ゲーム雑誌に絵を投稿して掲載されたりすることもありました。

「普通のことが何一つできない」と言われた自分が唯一認められる場所が、絵を描くことだったのです。

 

なので、絵を描くことを頑張ろうと思いました。

それがそのまま続いてそのまま美大に入ったという感じです。

 

でも、決心して美大に入ったのに、私はイラストレーターや漫画家、画家など、いかにも美大を出た人が就きそうな仕事に就いていません。

見る人から見れば、落ちこぼれに見えると思います。

けれど、こうやって人生を振り返ると……あんなに学校という社会に適応できていなかった自分が今、仕事をして自分の足で立って生きているなんて……と思えてきて、しみじみと感慨深いものがあります。

 

美術って個性を磨いて人と違うことをする、社会から隔離されたイメージがありますが、意外と作品を通して自分の考えを伝えたり、作品からその人が何を言いたかったのかを読み取る、コミュニケーションの世界でもあります。

自分は美術というコミュニケーションの世界で、少しずつ社会性を身につけて、できなかったことを克服してきたのかもしれないな……と思いました。

世間のものさしで測ると、私は絵描きになれなかった落武者かもしれまんが、私は美大に行って良かったなと思います。

 

 

 

3.「美大に行ったら安定した職に就けない」の裏に偏見は無いか?


「美大に行かない方が良い理由」として「美大に行ったら安定した職に就けない」「アーティストやデザイナーになれるのは一握り」という意見を見ました。

しかし、実際のところそうなのでしょうか?

 

私の交友関係の浅さもあり、美大の同級生全員が、今何をやってるのかは把握できていません。

私が在籍していた油画科は一学年25名程度なのですが、先輩には誰もが知っているゲーム会社やアニメ制作会社に就職された方、今まさに大ヒットしている漫画を描いている方、大学の助手、教員や講師になっている方、絵を描くこととは違う分野でも活躍されている方もいて、体感ではありますが「そんなに言うほどヤバイ人ばっかりなのかな?」と思います。

もちろん、みんなが有名になったり世間的に高い地位を得ている訳ではないですし、就職先や進路を考えるときは、悩みや挫折する話を聞くこともありましたが……。

 

「美大に入ったって活躍できるのは一握りだよ」「絵を描くのなんで遊びでしょ」と鼻で笑う人も多いと思います。

でも、そんな風に鼻で笑われそうなことにも真剣に取り組み、自分の夢を実現してきた人たちを美大では沢山見ることができました。

ネットや人からのうわさ話だけでは知ることができない、努力する人の姿を見ることができるのも、美大に進学する一つのメリットではないかと思います(良い風に書きすぎかもしれませんが……)。

だから、美大に行きたいと思っているのに「安定した職に就けないから諦めよう」とか「学んだことを活かせる仕事には就けそうにないから、美大には行かないでおこう」という理由だけで諦めるのは、ちょっと早計ではないかと思います。

 

初めから「自分には何もできない」「自分には夢を叶えられるはずがない」と諦める人は、夢や目標を実現するための土俵に立つことすらできません。

例えば、漫画家になりたいのに「自分は漫画家になるのは無理だから……」と思って漫画家になることを諦める人は、一生漫画家にはなれないでしょう。

「夢を実現できるのは一握りだから」と自分で夢を諦める人は、周りから鼻で笑われたりせずに済む分、自ら夢を叶えるチャンスを捨てているとも言えます。

せっかく自分の才能を発揮できるチャンスがあるかもしれないのに、少し勿体無いと思います。

 

ネットなどで「美大を出ても40代でフリーター独身ばかり」という話を聞くと、美大に行くのが不安になる人もいるかもしれません。

でも、美大に行った人みんながフリーターになる訳ではありません。

それに、就職先や進路はある程度自分の努力でコントロールできます。

 

また、そもそも論として「40代フリーター独身」という将来の姿は本当に良くないのでしょうか?

良くないとしたら、何故なのでしょうか?

 

不安定な仕事に就いていたら、ゆとりのある生活ができないから?

「安定した職に就けないから美大に行かない方が良い」と言う意見はもっともらしく聞こえますが、その裏に、職業や社会的地位で人を測る偏見はないでしょうか。

 

「将来が不安だから美大に行かない方が良い」と聞くと、逆に「未来が約束された大学や就職先なんてあるのかな?」と疑問にも思います。

将来どうなるかわからない美大だからこそ、挑戦し甲斐があるし、エキサイティングとも言えます。

 

 

 

4.人生で後悔するのは「やらなかったこと」


「美大に行くべきか?行かないべきか?」を考えるときに、私は内田樹さんの「後悔」に関する考え方がとても参考になるのではないかと思いました()。

 

内田樹さんによると、世間で言われている後悔には2種類あって「何かをした後悔」「何かをしなかった後悔」があるそうです。

「何かをした後悔」とは、例えば犯罪や汚職、酔っ払って羽目を外し過ぎたことなど、後から振り返って「あんなことしなければ良かったな」と思う後悔。

「何かをしなかった後悔」とは、自分が何かをしようと思ってもやらずにいたせいで、かけがえのない時間、かけがえのないひと、かけがえのない出会いを逸した後悔のこと。

 

内田樹さんの言う、本当の意味の「後悔」は「何かをしなかった後悔」だそうです。

確かに、「あんなことしなければ良かった」という後悔って「反省」という言葉にも置き換えられるんですよね。

それに、後悔するような行動を「しよう」って思ってやっている訳じゃないですか。

でも「何かをしなかった後悔」って、取り戻すことができないんですよね……。

 

かけがえのない時間、かけがえのないひと、かけがえのない出会いを「逸した」ことの後悔、「起こらなかった事件」についての後悔は、それが起こらなかったがゆえに、私たちの想像を際限なく挑発しつづける。

※12月20日 – 内田樹の研究室より

 

確かになぁ~……と思います。

私も学生時代、ゼミの先生が「希望者を集めて費用30万ぐらいでフランスに研修旅行に行かないか」と企画されていて、それを「お金が無いので……」と参加しなかったことを後悔しています。

 

 

 

5.道に迷うことこそ、道を知ること


美大を出たのに卒業後それをあまり仕事に活かせていない人が、ここまですごく偉そうに書いてしまったのですが、「安定した職に就けなさそうだから美大に行かない」という選択肢もそれはそれでアリだと思います。

「お金が欲しい」「高い地位を得たい」と思わない人は、いないでしょうからね。

かく言う私も、絵だけで食っていくのは厳しいな……と諦めたその一人ですので……。

家の経済状況もあると思うので、最終的には、自分自身や家の人と話し合って決めるのが一番だと思います。

 

美術を学ぶべきかどうか?について考えると「物事の価値ってどの時代にも通ずる、唯一絶対の基準はないのかも……」と思います。

例えば、美術の起源を辿っていくと先史時代のラスコーやアルタミラの壁画にまで遡ります。

当時は写真も無いし、絵の具も今よりずっと粗末なもので、洞窟の奥で火を焚いて、酸欠になりながら壁に絵を描いていたようです。

ラスコーやアルタミラの壁画は、洞窟の奥にあるので、写真を見ずに記憶だけで描いたと考えられます。

記憶だけで描いているのに、リアリティがある表現なんですね。

先史時代の人の執念が表れていたとしか思えません。

 

現代人にとっては「壁の落書き」と言われそうなものですが、それを描いた人たちにとっては意味のあるものだったんです。

そして、壁の落書きを後生大事にしている人がいる。

美術を通して、色々なものの見方を学べることができます。

色々なものの見方を学ぶことで、ネガティブに思える出来事も違う角度から捉えることができるのかもしれません。

 

 

Yahoo知恵袋やネットを見ると、「美大に行かない方が良い」という意見も見ます。

それで美大に行かないならそれも良し。周りに反対されても尚「美大に行きたい」と思うならそれはそれであなたの才能です。

 

アフリカのことわざに道に迷うことこそ、道を知ることだ。ということわざがあります。

「自分は、美大に行くべきなのか?」

自分なりに考えて答えを出すことが、本当の学びなのではないでしょうか。

 

 

 

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【記事監修者】塾長 柳生 好春


1951年5月16日生まれ。石川県羽咋郡旧志雄町(現宝達志水町)出身。中央大学法学部法律学科卒業。 1986年、地元石川県で進学塾「東大セミナー」を設立。以来、38年間学習塾の運営に携わる。現在金沢市、野々市市、白山市に「東大セミナー」「東進衛星予備校」「進研ゼミ個別指導教室」を展開。 学習塾の運営を通じて自ら課題を発見し、自ら学ぶ「自修自得」の精神を持つ人材育成を行い、社会に貢献することを理念とする。

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