この知らせを家で妻から聞いた時の第一感は、「この時代にそんなことが起こるのか」だった。やがて容疑者に関する情報が増えていくにつれ、この事件の動機や背景が次第に明らかになり、根深い社会問題を孕んでいることが分かってきた。
容疑者の母親が旧統一教会に1億円を超える寄付をし自己破産に追い込まれ、貧困と進学の挫折など幼少期からの不遇な生活を強いられたことに対する怨恨から、このような行動に至ったようである。
この事件の直後は、どのような理由があろうともこのような銃撃で人を殺すことは許さないという論調がマス・メディアの大半の姿勢であった。
もとよりこれは当然のことで断じて許されるものではない。
当初、警備体制の不備なども取り上げられたが、次第に旧統一教会への恨みから何故安倍元首相の殺害になったかが問題となっている。これについては、いろんな方が様々な意見を言っている。安倍元首相に対する評価のスタンスによりこの問題への見方が分かれている。その1例が極端な矮小化である。旧統一教会の別組織に安倍元首相がビデオメッセージを送った位でこのような事件が引き起こされたのはもってのほかで、背景を追求することは容疑者を利するだけで無意味とする地元紙に寄稿した某女性国際政治学者などが典型である。ここには、岸信介元首相以来3代にわたって旧統一教会と深いつながりがあったこと、安倍元首相が長をつとめる自民党の清和会と旧統一教会の強い結びつきなど微塵の考慮もない。
また、「政治と宗教」という難しい議論を展開し、結局中途半端な結論に終始するものも見られる。
今回のケースは、私見では「政治と宗教」というキリスト教とアメリカ・ヨーロッパの政治、仏教・神道と日本の政治といった問題ではなく、霊感商法を行い人を不幸のどん底に落とす反社会的とも言える教団と日本の政治の一部癒着の問題として捉えることがポイントである。
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